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リーダーとマネージャーは違う。リーダーは見えないものを見て、マネージャーは見えてるものをまとめあげる。【リーダーシップの旅】感想

2024年7月23日

複数いる部下をまとめてあげて組織を先導する人物をリーダーと勘違いしていることがよくある。だがこのようなポジションの人物はリーダーではなくマネージャーという扱いをする。

部下たちは喜んでマネージャーについていくわけではない。組織を円滑に運営するため、組織を維持するためにマネージャーの指示に従っているに過ぎない。

リーダーとマネージャーの違いはどこにあるのだろうか。

リーダーは誰かにその役割を与えられてなれるものではない。自分の意志や行動力をコントロールし、まだ誰も足を踏み入れていない沼地に足を踏み入れる。道無き道を進みふと振り返ると何人かが後ろをついてきている。

ファーストペンギンという言葉をご存知だろうか。群の中から天敵がいるかもしれない海へと魚を求めて最初に飛び込むペンギンのことをこう呼ぶ。

このペンギンはその他のペンギンと何が違うのだろうか。どのペンギンよりもたくさん魚を手に入れたいだけなのか。ただリスクに対して耐性が高い生まれつきのものなのか。

人間社会のリーダーは自分を奮い立たせ、周囲の人々に影響を与え、社会を動かしていく。

リーダーになる人は望んでリーダーになるのではなく、冒険をした結果としてリーダーになるのだ。

そしてこの道を歩んできた経験こそがリーダーへの贈り物となる。

リーダーの役割とは、誰かがやらなければならないことをやるのではなく、誰もやらなくて良いことをやることだ。あなたにこの茨の道を歩む覚悟はあるだろうか。

  • リーダーを育てることができるのはリーダーだけだ。研修や講義ではリーダーシップを身につけることはできない。経験によってのみリーダーシップが育まれる。
  • 新しいビジネスを起こす起業家には詐欺師めいた雰囲気がある。銀行からの融資や投資家から資金を提供してもらうためには、まだ誰も見たことがない景色を思い描きそのリターンを説明しなければならない。大いなる勘違い力が必要だ。成功するかどうかは誰にも分からないが当の本人だけは未来の風景を明確に描いている。
  • ダース・ベイダーとルーク・スカイウォーカーの違いは周囲に成熟した個人がいるかどうかの違いだ。トップひとりに依存する組織構造は破滅を招くことになる。ダース・ベイダーの周囲にいる人間は印象に残らない。

桃太郎は鬼を退治しても帰還しなければただの失踪事件

書籍の中ではリーダーになるまでの過程について「旅」「偉業」「生還」という3つのキーワードが登場する。せっかく鬼退治に成功したとしても、無事に生還できなければ桃太郎は英雄にはならないだろう。

リーダーとなるためにはまだ誰も成し遂げていない偉業を成し遂げ、本来の居場所に帰ってこなければならない。

日本から海外へ飛び出し世界で大成功を収めたとしても、帰ってこなければ日本のリーダーとはみなされないだろう。世界の果てまで行ったっきりだ。ここでは本人のリーダーになりたいかどうかという事情は無視している。

個人の成功と組織の成長を切り分けて考え、より個人を重視するのであれば「生還」は必要ないし他人がどうこう口出しできる領域ではない。

桃太郎は鬼を退治した英雄とみなされているとすると、彼には犬、猿、きじを家来にするリーダーシップがもともと備わっていたということなのだろうか

桃から生まれたという特殊な境遇が彼を特別な存在にしたのか。

もしも生まれつきでリーダーとしての才覚があるかどうかを運命づけられているとしたら、後天的にリーダーシップを身につける手段は残されていないのだろうか。

当然ながらこれらは全て間違っている。そもそもリーダーシップという言葉の定義は曖昧だ。人それぞれ誰をリーダーだと思っているかは異なるし、価値判断の基準が違うのでリーダーを型に当てはめるのは不可能だ。

立場上リーダー役を演じている人はいるが、その立場がなくなってしまえばリーダーであり続ける必要はなくなる。

桃太郎は誰かに頼まれて鬼を退治したわけではない。強いて言えば彼が日本で一番強い少年であったことだ。

映画スパイダーマンでは「大いなる力には大いなる責任が伴う」というフレーズが何度も使われる。

力をもった桃太郎は彼が信じる思想に基づいて鬼退治をしなければならないと判断した。心の中に抑えきれない衝動が生まれ突き動かされたのだ。

心に火をつける出来事は人それぞれ違う。もしも言葉にできない衝動に動かされ「気づいたら行動していた」という経験がないのであれば、まだ自分の感性に響く出来事に出会えていないだけなのかもしれない。

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