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ライドシェア規制はタクシー業界ではなく鉄道業界を守っている。

ライドシェアが解禁されると、人々はわざわざ駅まで足を運ぶ必要がなくなる。

駅まで歩いて行くより家を出て玄関先で車に乗り、直接目的地に向かった方が楽だし早い。

こうなると、人々はわざわざ電車に乗る必要はなくなってくる。

目的地までの距離によっても左右されるが、パーソナルスペースが保たれていることや安全性や心理的ストレスを考えても車での移動の方がラクなのだ。

しかし、このように多くの人が車で移動するようになると別の問題が出てくる。

そう、渋滞だ。

都心の歩道では途切れることなく歩行者が行き交い、横断歩道は絶えず人が歩いている。

この人たち全員が車で移動するという選択肢を手に入れるのだ。

路肩には大量のライドシェアカーが溢れかえり、ついには身動きが取れず交通麻痺を起こしてしまう。

これを解決する方法は空を飛ぶしかない。

こうなってくると、移動の優位性は地方に軍配が上がる。

地方では足がないという理由で外出ができなかったり、駐車場が足りないという理由で自転車通勤や徒歩通勤を強いられることも珍しくない。

また、お酒を飲んだら運転できなくなるからという理由で飲みに行けず街が廃れている。

ライドシェアは地方創生や過剰に人口が集中しすぎている都会の交通問題を解決することができる。

ライドシェアが解禁されると困る業界もある。

バスや鉄道といった公共交通機関だ。

決まった時間に決まった経路でしか移動できない交通手段は人間の行動スタイルを制限してきた。

都会では多くの人が電車を使うという"前提"で街が設計されていると言ってもいいだろう。

もしもライドシェアが解禁されれば、街中に張り巡らされた線路は負債になる可能性すらある。

よくライドシェア規制についての話題が上がるときに「タクシー業界が反対している」という嘆きの声が聞こえてくる。

「ライドシェア個人ドライバーに客が取られてタクシーを使う人が減ってしまう」という至極真っ当な主張だ。

しかしこの主張は少しずれているように思う。

ライドシェアが解禁されれば、これまでタクシーを使っていなかった人がライドシェアを使うようになるだけだ。

タクシーを使っていた人はこれまで通りタクシーを使い続け、そうでない人は新たな移動手段としてライドシェアを使う。

例えば、企業の営業マンや重役がライドシェアを使うだろうか。考えにくい。

移動中の車内では大事な会話や電話をすることだってあるだろう。

一般人が運転する車ではそういった雰囲気にはなりづらい。これは単にイメージの問題だ。

地方で集客力があるのは、広大な駐車場を有するイオンなどのショッピングモールだ。

一方で中心であるはずの繁華街は廃れている。

先ほど「都会では人々が電車を使うことを前提として街が設計されている」と述べた。

地方では人々が車を使うことを前提として街が作られている。

だから駐車場が無い施設は、そもそも選択肢から外されてしまうのだ。

「お!新しいラーメン屋できてるじゃん!駐車場が無い?じゃあ行かねー...。」

ではなぜ人々はタクシーではなく、ライドシェアを望んでいるのか。

タクシーが不足しているという理由はもちろんあるだろう。

しかし根本的には、タクシー業界が「タクシーを使ってもらうためのマーケティング活動を怠っている」としか言いようがない。

人を集めるためには、集客のためのマーケティングが必要になる。

タクシー業界はどことなく古臭いイメージがこびりついており、利便性に欠けるのが現実だ。

「配車するためにはわざわざ電話しなければならない。」

「偶然通りかかった空車のタクシーを呼び止めるなんていつの時代だ。」

「タクシーではなくN-BOXで移動したい。」

「今のままでも困っていない」という考え方は衰退を招くのだ。

ライドシェアが解禁されてもタクシー業界は何も困らない。

それよりも人々の生活スタイルが変わってしまうことの影響を考えれば、危ういのはむしろ鉄道やバスのほうだろう。

ライドシェアの安全性を危惧する声もあるが、これは個人がリスクをどう考えるかでしかない。

人々は生活の中であらゆるリスクをとっている。

そのリスクを天秤にかけ、許容範囲内にある選択肢を選んでいるに過ぎない。

規制することの問題点は、その選択肢を考えることすらせず消されてしまうことだ。

この規制が緩和される頃には、ただ「移動がしやすくなった」ということ以上に、日本社会の景色は変わったものになっているだろう。

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